無意識下の命令『ドライバー』 ≪ココロン博士の子育てゼミナール≫


2012年9月 みえこども新聞 第五回 ココロン博士の子育てゼミナール より
ゴールのない努力や頑張りは地獄です。
一休みしたからと言って、また次の目標に向かって頑張れるかというとそんな簡単なものでもありません。
『言うは易し』です。
いつも何かの目標を掲げておくことも素晴らしいことだけど、
毎日毎日、普通に生きていることもそれはそれで価値のあることです。
“普通”は当たり前のように思えて、それがなかなか手に入らないこともよくあることです。
“普通”に感謝することをすっかり忘れてしまっていると、“普通”が手から滑り落ちたときにパニックになります。
“普通”をぞんざいに扱うと、そのしっぺ返しに遭い、大きな後悔を味わうことになります。
もしも『励まし』や『頑張りへの応援』をけっこう強めにして見える方は「頑張るのはその子本人」「その人本人」だと強く意識してみてください。
物理的にできるかできないかではなく、精神的にそれは可能かどうかです。
その場合、「自分だったらできる」は無しで(*^^*)
今の自分にはできても状況も環境も人格もすべてまるっと一緒ではありませんし、そもそも『自分』ではないのですから。
人生、毎日毎日誘惑だらけ。
とくに若いころは脳にも勢いがあっていろんなことが新鮮で魅惑的です。
頑張ることは何かの犠牲を伴います。
「時間」であったり、「あそび」であったり、「娯楽」であったり、「人・友達との交流」であったり、「考える心の余裕」であったり、「空想すること」「創造すること」であったり、「睡眠」であったり、「青春」であったり、「色恋」であったり・・
なにかしらを捨て、我慢しなくてはなりません。
一生懸命やること、頑張ること、やりきること、継続すること、どれもすべて素晴らしいし、とても立派で大切なことです。
それと同様に「一生懸命になれないこと」「頑張れないこと」「やりきれないこと」「継続できないこと」に、
自分も他人に対しても、“見切りをつけたり、あきらめたりする潔さ”やそれを“温かく見守る心の許可”が持てることもとても大切なことです。
“ちょうどいい加減”も人それぞれですがその“ちょうどいい加減”を『ちょうどいいぐらい』にみんなが持てるようなるといいなと思います。


 

株式会社オフィス優HP