社会に出る準備 ≪ココロン博士の子育てゼミナール≫

 

2015年5月 みえこども新聞 第三十七回 ココロン博士の子育てゼミナール より

 

10年以上前に、

 

「学校に行きたくないなら行かなくてもいいんだよ」ということで、

こどもたちの居場所をと発足し、

全国規模に広がり、大変な会員数を集め、

ご自分も、

自身のお子さんたちのことで学校に行かないことに悩んだ日々を

会員の方たちと共感しあい、

互いに励まし合い、

活動をしている会長さんとご縁をいただき、

お話ししたことがありました。

 

その席では、会員の方々の他に、そのかたのお子さんがみえました。

通常、学校に行っている時間に、

主婦たちとランチを共にするその子の姿に

 

“どんな気持ちでいるのだろう”

 

と思ったことをとても強く覚えています。

 

私にはその子が感情を無にしているようにみえました。

でも、私を上目遣いでジッとみつめている瞬間もありました。

 

ほんの少しの時間、その会長さんと二人きりになる時間ができました。

 

すると、ひそひそ声で矢継ぎ早に質問をしてくださいました。

 

さきほどまで、

私の考え方とは相反する姿勢で「学校なんて!笑」と会員さんたちと談笑していらしたのですが、

実はとても私に関心をもってくださっていたようです。

 

おこさんも他の会員さんたちと一緒に席を立っていたので、

そのとき、その日初めて、

質問に応じて自分の活動と考え方についてお答えさせていただくことができました。

 

そして、会員の方たちが戻ってくると、

私と今まで世間話しか話していなかったように、

体の向きを変え、

私から目をそらしましたが、

目をそらしたまま、

私にだけ聞こえるように、

 

「水野先生に私の子もお願いしてみようかしら・・」

 

とおっしゃいました。

 

そしてそのままとなりましたが、

会員の方と手を振ってくださった見送ってくださった会長さんの姿が

私には名残惜しそうにみえました。

 

それから10年ほど経ったとき、

ある講演先で偶然、

関係者としてこられていたその会長さんとお会いしました。

 

「実はあれから10年経ってね、

また大変な問題にぶち当たっているのよ。

 

こどものころは学校に行っていないこどもたちで集まって、

いろんなことをして遊んで親も救われてよかったんだけどね、

 

こどもたちが、さぁ、成人になってきたら、

 

一人で電車もバスも乗れない、

自分でジュースも買えないって事態になってきてね・・

 

そんな子がどんどん出てきちゃって・・

 

これからどうしていっていいものやら・・」

 

と当時と同じ、

わたしの耳元でささやくようにつぶやくように、おっしゃっていました。

 

こども時代は毎日が大人になるための準備期間です。

 

こどものときだからこそ、受けられる支援もあります。

 

でも、大人になるとそれもまた難しくなってくることがあります。

 

大人になっても支援者はいるけれど、

自分自身がそのときそれに満足できるかどうかは定かではないし、

自尊心を保てなくなってくる人が多くいるのも事実です。

 

知り合いに会いたくない

自分に自信がもてない 

 

だから

外に出てほしいと願い、

進んで送り迎えをしてくれる親からもらったお金で、

ゲームセンターに行くときくらいが唯一、家の外に出る時間という、

 

“こどものころと同じ時間のまま”、

 

毎日が過ぎている人も多くいます。

 

あるときの

当事者さんを交えた精神保健福祉の学習の場で、

 

「こどもの小学校に授業参観に行ったら、

運動場で3人くらいの子が遊んでいた。

 

ギョッとしたが、

 

自分のこどもに「今日だけ?」と聞いたら、

「いつもだよ」と言っていた。

 

「いつもなの?」と聞いたら

「うん、普通だよ」と普通に言っていた。

 

普通ってなんだ?

 

我々は“普通”に囚われているんではないか。」

 

というようなお話しをされていました。

 

「当事者にとって学校は拷問。

死にたいと思った。

みんなができることが自分にはできない。

みんなと同じことをさせられることが地獄だった。

そもそもみんなが学校に行くのが普通と言う考え方自体がおかしいんじゃないか。」

 

という当事者さんのお話しもありました。

 

『普通とは』

を議論したいのではありません。

 

学校で授業中にいつも数人だけ運動場で遊んでいる・・

どんなことも正しいか否か、どちらでもないかはケースバイケースだと思っています。

教育現場において、

現実問題、人員が足りないから、予算が組めないから、というシビアなこともあります。

その事情も状況もわからない状態でそのお話しに対して賛否もありません。

 

『仕方がないこともある』と思います。

そんないろんな事情を除いてですが、

 

ただ、

“みんな同じでなくていい”

ので、

その個性を改善しようと互いに苦痛を強いる労力を費やさずとも、

 

その個性を生かせること、

または

その個性に負担がかからない“なにか”で

未来に向けて大人になる準備や練習を

“なにかしら”

していかなければいけないと思うのです。

 

個性を

“自分勝手なひと”

ととられがちなことを当事者さんたちは苦しみます。

 

それは社会全体で理解していかねばならないことなのだと思います。

 

でも、

強い個性があっても、

強い個性でなくても、

意思疎通ができて自力で何かできる能力があるにもかかわらず、

 

なんにも教えず、なんにもさせず、ほったらかし

 

で育てたら、

 

どんな子だって、

 

自由と自分勝手を勘違いしたまま、体だけおとなになってしまいます。

 

こどものころは

“自由”にさせてもらえて楽で楽しいかもしれませんが

 

『ひとはある程度の枠の中で行動させられることで心の安定を図れる』

ところもありますし、

 

必要とされたい

認められたい

 

という欲求を持っています。

 

それなのにその欲求を満たすための何かの練習や訓練をする権利を

結果的に

 

“なんにも指導しない”

 

で、

おとなが取り上げてしまうこととなってしまっては、

その子の未来をぶち壊してしまうことになるのではないかと思うのです。

 

ストレスを軽減させてあげたい

生きづらさを持つ子を理解してあげたい

 

そんな気持ちが

意図せず、

生きづらさを持つひとの未来を

さらに生きづらくしてしまってはいってはいないかと思うのです。

 

人の幸せを考えるとき、

今も大事にしながら

未来を見据えて、

 

『未来も大事にできる今』

 

を構成するサポートができると

そのひとは

 

『今も未来も大事』

にできて一番幸せですね。

 

水野優子 株式会社オフィス優HP